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真宗大谷派(東本願寺) 電話 0283-24-1355
青龍山 大德院淨泉寺

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仏事から考える 読む目安 約4分

「葬式や墓は、生きている人のためのもんだ」

先代住職の言葉を、葬儀やお墓の現場を通して聞き直す。

穏やかな水面に広がる波紋(イメージ写真)
イメージ写真

先代の住職は、よく、「葬式や墓は、生きている人のためのもんだ」と言っていました。

続けて、「死んだ人のためにやるもんだと思っているけど、本当はそうじゃないんだ」と話すこともありました。

若い頃の私は、その言葉を聞いても、正直なところ、よく分かりませんでした。葬式は亡くなった人のため。墓も亡くなった人のため。そう思う方が自然だったからです。

自分が住職になって

その後、自分が住職となり、葬儀を勤めるようになりました。

亡くなったばかりの方の枕元で、ご家族のお話を伺います。すると、亡くなった方について話していたはずなのに、いつの間にか、生きている方自身の話になっていることがあります。

「もっと話をしておけばよかった」「本当によくしてもらった」「一度、ちゃんと謝りたかった」「ありがとうって言っておけばよかった」

亡き人のことを話しているのに、そこには、今を生きている自分の姿が出てきます。そのたびに、先代の言葉を思い出すようになりました。

葬儀で問われているのは

葬儀は、亡くなった方を大切にお送りする時間です。それは間違いありません。

でも、それだけではないのでしょう。

人が亡くなる。すると、私たちは否応なく、自分の生にも向き合うことになります。

あの人は亡くなった。では、私はいつまで生きるのか。あの人に言えなかったことがある。では、今そばにいる人には、何を伝えているのか。

亡き人の死によって、生きている私の足もとが照らされます。

墓もまた、生きている人が行く場所

お墓も、同じなのかもしれません。そこに納められているのは、亡くなった方のお骨です。でも、墓参りへ行くのは、生きている人です。

花を持って行く。掃除をする。手を合わせる。そして、あの人のことを思い出す。ときには、墓前で初めて口にできる言葉もあるでしょう。

お墓は、亡くなった人を閉じ込める場所というより、生きている人が亡き人とのご縁に、もう一度出遇う場所なのかもしれません。

「迷惑をかけたくない」

最近は、「子どもに迷惑をかけたくないから、お墓はいらない」というお話もよく聞きます。そのお気持ちはよく分かります。

けれども、以前、お墓を持たず海洋散骨にしようと考えていた方が、実際にお子さんへ話してみたところ、きちんと弔いたいというお子さんの思いが分かり、ご家族でお墓を選ばれたことがありました。

話してみなければ、分からなかったのです。親が「迷惑だろう」と思っていたことと、子どもが実際に願っていたことは、同じではありませんでした。

お墓を持つことが、いつでも正解だという話ではありません。海洋散骨という選択が間違っている、ということでもありません。

ただ、自分の中だけで相手の答えを決めてしまわないこと。 それは大切だと思います。

生きている人のため、とは

「葬式や墓は、生きている人のためのもんだ」。

自分が葬儀を勤め、ご家族の話を聞き、お墓の相談を受けるようになって、この言葉が少しずつ違って聞こえるようになりました。

亡くなった方を大切にするからこそ、その方の死をご縁として、生きている自分自身が問われる。どのように生きてきたのか。誰と出会ってきたのか。何を大切にしているのか。そして、自分もまた、いつか死んでいく。

葬式も墓も、死者だけの話ではない。生きている私の話でもある。

今の私は、先代の言葉を、そんなふうに聞かせていただいています。

言葉もまた、受け継がれていく

寺を継ぐというと、建物や土地を受け継ぐことを考えます。でも、先代から受け取ったものは、それだけではありません。こうした言葉もあります。

聞いたときには、分からなかった。何年もたって、自分の経験を通して、少し違って聞こえてくる。そして、また次の人へ渡していく。

先代の言葉を、そのまま「正解」として残すのではなく、今の自分でもう一度聞き直す。

それも、寺を継ぐということの一つなのだと思っています。

この記事のテーマ
お墓亡き人寺を継ぐ葬儀

淨泉寺 住職 釋延洋