亡き人を訪ねて、私が問われる
法事や墓参りは、亡き人に何かをしてあげるだけの時間ではありません。亡き人を訪ねる私が、逆に問われます。

法事というと、「亡くなった人のために何かをしてあげる日」と考える方もいます。
真宗では、私たちのお勤めによって亡き方を成仏させる、とは考えません。むしろ、亡き人をご縁として、今を生きる私が仏法に遇わせていただく時間です。
訪ねると、問われる
『教行信証』には、『安楽集』の言葉として「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え」と引用されています。
後から生きる者が先に生まれた人を訪ねる。そのとき、ただ過去を懐かしむだけではありません。「あなたは今、どう生きているのか」と、こちらが問われることがあります。
亡き人は、過去だけにいない
亡き人との関係は、亡くなった瞬間に無くなるわけではありません。思い出し、迷い、感謝し、ときには腹を立てる。その関係の中で、今の自分が形づくられています。
法事は、その関係を仏法の中で聞き直す時間でもあります。
亡き人を訪ねたはずなのに、帰るときには自分が問われている。法事には、そんな向きの反転があるのだと思います。
淨泉寺 住職 釋延洋


