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真宗大谷派(東本願寺) 電話 0283-24-1355
青龍山 大德院淨泉寺

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住職の話 読む目安 約2分

君は、なぜ死ぬのか――先生からいただいた問い

大学時代、先生から繰り返し問われた「君は、なぜ死ぬのか」。死を考えることから、生を聞き直した経験。

大学時代、ゼミの先生から突然、こう聞かれたことがあります。

佐野くん、自分、なんで死ぬ?

関西でいう「自分」は、「あなた」という意味です。私は、死因を聞かれたのだと思いました。

がん、心疾患、脳血管疾患。当時よく聞いた日本人の主な死因を答え、交通事故などもある、といった話をしたように思います。

先生は「そうか、そうか」と聞いていました。正解も不正解も言いませんでした。

卒業が近づいたころ

それから時間がたち、卒業が近づいたころ、先生はもう一度聞きました。

佐野くん、君はなぜ死ぬのか。

同じ問いです。けれども、そのとき私は、前とは違う答えをしました。

生まれたからです。

生まれたから、いつか死ぬ。

それは、何歳で死ぬか、何が原因で死ぬかが生まれたときから決められている、という意味ではありません。

死は、人生の最後に突然付け加わる特別な出来事ではなく、生まれたいのちそのものが、死を含んで生きている。そのことに、ようやく気づかせていただいたのです。

先生は、答えを教えなかった

今になって思うのは、先生が最初に「正解」を教えなかったことです。

もし最初に「生まれたからだよ」と言われていたら、私は「なるほど」と覚えて終わったかもしれません。

でも先生は、問いだけを渡しました。

私は一度、的外れな答えをしました。それでも否定せず、数年後に同じことをもう一度聞いた。

同じ問いなのに、聞く私の方が変わっていたのです。

死を考えることは、生を考えること

「君はなぜ死ぬのか」という問いは、死の理由だけを尋ねているのではありませんでした。

生まれたから死ぬのなら、その間を私はどう生きているのか。

いつか死ぬことを知りながら、今日をどのように生きているのか。

先生からいただいた問いは、今では私に「では、君はどう生きているのか」と聞こえています。

答えは、まだ終わっていません。問いを持ちながら、これからも仏法を聞いていきたいと思っています。

この記事のテーマ
先生問い生と死

淨泉寺 住職 釋延洋