人生は、長さだけではない――いのちの幅と深さ
若くして亡くなった方の葬儀をご縁に、人生を年数の長短だけで測れるのかを考える。

若くして、がんで亡くなられた門徒の方の葬儀を勤めたことがあります。
「もっと生きてほしかった」。ご家族にとって、その思いがなくなるわけではありません。私も、短い人生だったからよかった、などとは到底言えません。
その葬儀をご縁に、以前聞いた一つの言葉が強く残りました。
人生は長さだけではない。幅もあれば、深さもある。
金子大栄の法語として伝えられている言葉です。
長さだけで人生を測るなら
長生きは、もちろん喜ばしいことです。少しでも長く一緒にいたい。もっと話したい。もっと生きてほしい。それは自然な願いです。
けれども、人生の価値まで年数だけで決まるとしたら、若く亡くなった人の人生は、長く生きた人より小さなものになってしまうのでしょうか。
そんなことはないはずです。
いのちの幅
一人の人が生きた時間には、たくさんの人との関係があります。
家族。友人。仕事で出会った人。たまたますれ違った人。
ただし、知り合いが多いほど人生の幅が広い、という単純な話でもありません。
一人の人との出会いが、その後の人生を大きく変えることもあります。
いのちの深さ
では、深さとは何でしょう。
大きな業績を残すことでも、能力が高いことでもないと思います。
誰かを大切に思ったこと。迷ったこと。苦しんだこと。笑ったこと。何気なく残した言葉が、あとになって誰かの中に生き続けること。
人生には、年数では測れない深さがあります。
有限だから美しい、と簡単には言わない
『銀河鉄道999』という作品では、永遠の命を求める旅の中で、限りあるいのちの意味が描かれます。
ただ、有限だから死は美しい、と言ってしまえば、大切な人を亡くした悲しみを簡単に片づけることになります。
もっと生きてほしかったという願いは、そのまま残ります。
言葉が、私に向かってきた
あの葬儀のとき、この言葉は亡くなった方の人生を説明する言葉としてではなく、生きている私自身への問いとして聞こえてきました。
私は、自分の人生を長さだけで見ていないだろうか。人のいのちを、役に立ったか、何を成し遂げたかだけで測っていないだろうか。
人生は、長さだけではない。
その言葉によって、私自身がいのちの見方をあらためて気づかせていただいたのだと思います。
淨泉寺 住職 釋延洋

