「不思議」は、分からないまま驚くこと
分からないことをすぐ答えで埋めず、考えてもなお尽くせないものの前に立つ。仏教の「不思議」という言葉から考えます。

「不思議」という言葉を、私たちは「変わったこと」「怪しいこと」という意味で使うことがあります。
仏教の言葉としては、人間の思いや言葉でははかり尽くせない、というところに重みがあります。
分からないから、何でもいいのではない
不思議だから科学で考えなくていい、ということではありません。分かることは、丁寧に確かめればいい。
そのうえで、どれだけ説明してもなお、なぜ私はここに生まれ、この人と出会い、この別れを経験したのかという問いは、公式のようには解けません。
答えを急がない
答えが出ないと不安になります。だから、分かったふりをしたり、簡単な説明に飛びついたりします。
お寺は、答えのない問いをすぐに閉じなくてよい場所でもあります。分からないまま、問いを持って座る。その時間に意味があります。
「分からない」を恥ずかしがらず、驚きながら考え続ける。私はそれも、仏法を聞く姿勢の一つだと思っています。
淨泉寺 住職 釋延洋

