大人が教える人だと思っていた
子どもと関わる仕事をしていると、教えているつもりの大人が、何度も子どもから教えられていることに気づきます。

長く子どもと関わる仕事をしていると、つい「大人が教える側、子どもは教わる側」と考えてしまいます。
けれど実際には、私は何度も子どもから教えられてきました。大人なら見過ごすことを不思議がり、大人なら飲み込むことを言葉にし、大人ならごまかすことを、そのまま問い返してきます。
教えることと、教えられること
仏法を聞くときも同じです。住職は「教える人」に見えるかもしれません。しかし、住職も仏法を聞く一人です。
話をするために経典を読み、誰かの言葉に耳を傾ける。そのたびに、自分の分かったつもりが崩されます。話す側だから聞かなくてよい、ということはありません。
一緒に考える寺
お寺に相談に来た方へ、すぐに答えを出せないことがあります。分からないこともあります。だからこそ、分からないまま一緒に考え、仏法の言葉に聞いていくことを大切にしたいと思っています。
大人も住職も、完成した人ではありません。教える人と教えられる人を固定せず、ともに聞く。その関係を、淨泉寺は大切にしたいと思っています。
淨泉寺 住職 釋延洋