お寺を貫く一本の糸
寺のさまざまな営みを貫くものは何か。寺院の使命を仏法を伝えることから考える。

お寺では、いろいろなことをしています。
葬儀を勤めます。法事を勤めます。お墓をお預かりします。納骨もあります。年忌法要や彼岸、お盆の法要もあります。子どもたちがお寺に来ることもあります。地域の方に境内を使っていただくこともあります。
これからの寺を考えれば、新しい営みも必要になるでしょう。
一輪車より、自転車。自転車より、三輪車。
寺の運営という現実だけを見ても、葬儀一本だけに頼っていくのは、なかなか難しい時代になっています。
一つのことだけで支えるより、いくつかの柱があった方がよい。
私は時々、そんなことを「一輪車より自転車。自転車より三輪車」と考えます。
葬儀。法事。墓地。納骨。地域とのかかわり。新しい事業。
寺がこれからも続いていくためには、時代に応じて営みを増やしたり、形を変えたりする必要があります。
けれども、ここで一つ大切なことがあります。
何のために、それをするのか
寺が事業を増やすこと自体が目的になってしまったら、寺でなくてもよくなります。
お寺のさまざまな営みを貫く一本の糸とは何か。
私は、仏法を伝えることだと思っています。
葬儀は、亡き人をご縁として、生きている私が仏法に遇う場になる。
法事も、亡き人をご縁として、今を生きる自分を聞き直す時間になる。
お墓や納骨も、亡くなった人を納めるだけではなく、生きている人が手を合わせ、自分のいのちをたずねる場所になる。
子どもたちがお寺へ来ることも、地域の人と出会うことも、その先に仏法とのご縁が開かれていくなら、寺の大切な営みになります。
寺を残すために、仏法があるのではない
寺を続けるためには、経済的な基盤が必要です。
建物を維持するにも、人が動くにも、お金は必要です。その現実から目をそらすことはできません。
だから、新しい収入の柱を考えることも必要です。
けれども、順番を取り違えたくありません。
寺を残すために仏法があるのではありません。仏法を伝えるために、寺がある。
私は、そこを何度も確かめながら、これからの淨泉寺を考えていきたいと思っています。
一本の糸を見失わない
お数珠には、たくさんの珠があります。
寺の営みも、これから増えていくかもしれません。
珠はいくつ増えてもいい。
時代によって、珠の形が変わってもいい。
ただ、一本の糸だけは見失わない。
それがお寺にとって、一番大切なことなのだと思います。
淨泉寺 住職 釋延洋

