聞いたのに、変わらない私
法話を聞いても同じことで腹を立て、同じ失敗をする。それでも聞き続けるのはなぜでしょう。

法話をしたあと、自分で話した内容とまったく逆のことをしてしまうことがあります。
人に「執着に気づかされます」と話したその日に、思い通りにならないことで腹を立てる。住職だから教えどおりに生きられている、ということはありません。
教えに合格するためではない
仏法を、自分を立派にする訓練だと思うと、できない自分に失望するか、人よりできているつもりになるか、どちらかに傾きがちです。
でも仏法は、私を採点するためのものではありません。むしろ、できたつもりになっている私、変わったつもりになっている私に気づかせます。
変わらない私が、聞き続ける
昨日と同じ失敗をしたとしても、まったく同じではないかもしれません。「またやっている」と気づくところに、聞いてきた言葉が働いていることがあります。
変わったかどうかを急いで結論づけず、また聞く。その道を大切にしたいと思います。
聞いたのに変わらない。それでも、聞かずに分かったつもりでいるより、また教えの前に座る。そのことを私は続けたいと思っています。
淨泉寺 住職 釋延洋

