「慎ましい人だ」と、私は勝手に決めた
知人の何気ない一言から、私が相手を自分の物差しで早合点していたことに気づいた話です。

人の話を聞いていると、頭の中でその人の物語を勝手につくってしまうことがあります。
ある知人の「服は手頃なものしか着ない」という話を聞いたとき、私は「成功していても質素な人なんだ」と思いました。ところが、その後に聞いた話は、私の想像とはまるで違いました。
聞いたことより、足したことのほうが多い
振り返ると、相手が話したことは少しだけです。その少しに、私は自分の価値観をたくさん足していました。
「こういう人に違いない」と決めると、その後は都合のよい情報だけが目に入ります。人間関係のすれ違いは、こういうところから生まれるのかもしれません。
分からないまま聞く
仏法を聞くときも、「もう分かった」と思った瞬間に聞けなくなることがあります。人の話も教えも、分かったつもりにならずに聞くことは、意外に難しいものです。
だから私は、「分からない」と言えることを大切にしたいと思っています。
相手を理解することより先に、理解したつもりの私に気づく。そのことが、人と向き合う入口になるのかもしれません。
淨泉寺 住職 釋延洋

