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真宗大谷派(東本願寺) 電話 0283-24-1355
青龍山 大德院淨泉寺

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仏事から考える 読む目安 約2分

お数珠の法話――一本の糸に支えられて

数珠をつなぐ一本の糸から、私を離さない御仏の願いを聞く。

穏やかな水面に広がる波紋(イメージ写真)
イメージ写真

小さい頃のことです。お寺でお数珠を持つときに、「お数珠は御仏の心だ」と聞いたことがあります。

その頃の私は、正直なところ、何のことかよく分かりませんでした。ただ、その言葉だけが残りました。

珠は、なくならない

お数珠には、たくさんの珠があります。百八の煩悩を表すと聞くこともあります。

欲しい。腹が立つ。妬ましい。自分が正しいと思う。分かってほしい。認めてほしい。

私の中には、いろいろなものがあります。

仏法を聞いたら、それらが全部なくなって、立派な人になるのでしょうか。

お数珠を見ると、珠は全部そこにあります。

珠は全部そこにある。そして、その珠の一つ一つを、一本の糸が貫いています。

「不断煩悩得涅槃」

親鸞聖人の『正信偈』には、「不断煩悩得涅槃」とあります。

煩悩を断ち切ってから救われるのではない。煩悩を抱えたこの私が、そのまま如来の願いの中にある。

お数珠の一本の糸を見ていると、私はその言葉を思います。

珠の方が、自分で糸につかまっているのではありません。

糸の方が、珠を貫いている。

私が仏さまを忘れても、仏さまの方は私を忘れていない。

私が迷い、腹を立て、間違うその時にも、この私を見捨てまいとする願いがある。

それを私たちは、阿弥陀如来の本願と聞いてきたのでしょう。

何十年もたって、また聞く

子どもの頃には分からなかった「お数珠は御仏の心だ」という言葉が、何十年もたってから、少し違って聞こえるようになりました。

私の喜びも、悲しみも、迷いも、間違いも、生も死も。

そのすべてを貫いて、この私を決して見捨てない願いがある。

お数珠を手にするとき、私はその一本の糸を、そんなふうに聞かせていただいています。

淨泉寺 住職 釋延洋