初参り――迎える側も、育てられていく
赤ちゃんの誕生は、親や家族にも新しい関係が始まること。初参りの短い法話。

――迎える側も、育てられていく
今日は、初参りというご縁をいただきました。
赤ちゃんが生まれた。そのことを、まず一緒によろこびたいと思います。
「元気に育ってほしい」ご家族は、そう願っておられることでしょう。私も、そう願います。
でも今日は、もう一つだけ、考えてみたいことがあります。
この子が生まれたということは、この子一人だけに新しい人生が始まったのではありません。
誰かが、お父さんになった。お母さんになった。おじいちゃんになった。おばあちゃんになった。家族にも、新しい関係が始まりました。
つまり今日は、赤ちゃんの初参りであると同時に、親としての初参りでもあるのだと思います。
親になったからといって、その日から何でも分かるわけではありません。子どもがなぜ泣いているのか分からない。どうしたらよいか分からない。正解だと思ってしたことが、あとで違ったと思うこともあるでしょう。
子どもを育てているつもりだったのに、気がつけば、自分の方が教えられていた。そんなこともあります。
私自身、子どもと生活して、何度もそう思わされてきました。
この子がこれから、どんな人生を歩むのか。誰にも分かりません。親が、全部決めることもできません。
だから、「私の願いどおりに育ちますように」だけではなく、この子とともに生きる私は、何をよりどころとして歩むのか。 そこを聞く始まりにもしていただければと思います。
この子が生まれてきた。そして、私たちもまた、この子との新しい人生をいただいた。
今日は、その有り難いご縁に、一緒に手を合わせたいと思います。
淨泉寺 住職 釋延洋
