大きくなったね
子どもを育てながら親自身も育てられていく。

【七五三の法話】みんなの「大きくなったね」
今日は七五三のお参りに、ようこそお越しくださいました。きれいな着物を着たり、少しよそ行きの服を着たりして、いつもとはちょっと違いますね。三歳、五歳、七歳。今日ここにいる皆さんは、お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんから、「大きくなったね」と言ってもらったのではないでしょうか。
赤ちゃんだった頃の写真を見返すと、抱っこしていた身体がいつの間にか大きくなっています。靴も小さくなり、話す言葉も増えました。家族の方はきっと、その一つひとつを思い浮かべていることと思います。
では、子どもたちに聞いてみましょう。どうやって、こんなに大きくなったのでしょう。自分の力でご飯を用意し、服を洗い、病気を治して、今日まで歩いてきたのでしょうか。もちろん、できるようになったことはたくさんあります。でも、最初から一人でできたわけではありません。
大きくしてもらった日々
夜中に泣けば、誰かが起きてくれました。抱っこしてくれた人がいました。ご飯を作ってくれた人がいました。熱を出せば心配してくれた人がいました。転べば、駆け寄ってくれた人がいました。きっと、今日ここまで大きくなる間には、数え切れないくらい、いろいろな人の手があったのだと思います。
その中には、今日ここに来ている人だけでなく、こども園や幼稚園の先生、近所の方、病院の方など、いろいろな人がいるでしょう。ご飯を育てた人、届けた人、道を直してくれた人。名前も知らない誰かのお世話になっていることもあります。
「僕が大きくなった」「私ができるようになった」と言うのは、そのとおりです。でも同時に、「大きくしてもらった」ということも、心のどこかに置いておきたいと思います。
「おかげさま」という言葉
私たちは、何かがうまくいくと「自分が頑張ったから」と思います。頑張ったのは事実です。子どもたちも、できないことを練習し、泣きながら挑戦してきました。その頑張りは大切です。
ただ、頑張る私を支えるものがあったことは、忘れやすいのです。朝、目が覚めたこと。温かい食事があったこと。励ましてくれる声があったこと。そのどれか一つが欠けていても、同じように頑張れたかどうか分かりません。
「おかげさまで」と言うのは、自分の頑張りを小さくする言葉ではなく、私が見落としていた支えに気づかされる言葉ではないでしょうか。だから、今日の七五三は、子どもたちの「できたね」を喜ぶと同時に、たくさんの「おかげさま」を思い出す日にもなります。
大人のほうも、育てられた
そして、少し大人の方にお話ししたいことがあります。子どもを育ててきたつもりの私たちも、実は子どもに育ててもらったところがあるのではないでしょうか。
初めて抱いた日のこと。泣きやまなくて途方に暮れた夜のこと。仕事の予定を変えなければならなかった日。思いどおりにならないことが続くと、こちらの心が見えてきます。優しくしたいと思うのに、きつく言ってしまう。待ってあげたいと思うのに、急がせてしまう。
子どもは、こちらに都合のよい先生ではありません。でも、その子との毎日によって、私のわがままや未熟さを何度も知らされました。育てるとは、一方だけが成長することではなかったのだと思います。
うまくいかない日も、ここにある
七五三の日は、きれいな写真を撮って、笑顔で残したいと思います。けれど、写真に写っていない日もたくさんありました。喧嘩をした日、つい叱りすぎた日、疲れ切って何もできなかった日。
私は、そうした日々をなかったことにして、今日だけ立派な家族の姿を見せてね、とは思いません。思いどおりにならない者同士が、それでも一緒に暮らし、今日まで来ました。仏さまの前で手を合わせるのは、そのような私たちです。
親鸞聖人の教えを聞いていると、「よい親になれたら、ようやく願っていただける」ということではないと知らされます。うまくできないことのある私たちをこそ、阿弥陀さまは見捨てずに願ってくださる。そのことを聞きながら、今日の姿を見つめ直したいと思います。
子どもたちへ、そして大人たちへ
子どもたちには「ありがとう」を無理に言わせなくてもよいと思います。まだ何が有り難いのか分からないかもしれません。大人の私だって、してもらっていたことの意味が何年も後になって分かることがあります。
ただ、もし今日、心に残ったことがあったら、覚えていてください。皆さんのことを心配して、喜んで、助けてきた人がいるということを。大きくなった皆さんが、いつか別の誰かの手を取る日が来るかもしれません。
そして大人の私たちも、子どもから受け取ったものを、次へ渡していけたらと思います。七五三は、頑張ってきた人に成績をつける日ではなく、一緒に歩んできたことを喜ぶ日です。
今日、ご本尊の前に座ったこの時間を、「今日まで、ありがとうございました」と手を合わせるご縁にしたいと思います。これからも、うれしい日だけでなく、思いどおりにならない日にも、ともに教えを聞きながら歩んでまいりましょう。
南無阿弥陀仏。
淨泉寺 住職 釋延洋


