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真宗大谷派(東本願寺) 電話 0283-24-1355
青龍山 大德院淨泉寺

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「ごめんね」と言える食卓

子どもの「ぶたさん、ごめんね」という言葉は、正しい答えではなく、いのちを前にした素直な戸惑いでした。

大人の指を握る小さな手(家族のイメージ写真)
イメージ写真

「ぶたさん、ごめんね」。園の昼食で聞いたその言葉を、私は今でも覚えています。

その子は、食べることを拒んだわけではありません。大人に正解を言おうとしたのでもありません。ただ、目の前の食べ物が「いのちだった」と知った瞬間に、自然に出た言葉だったのでしょう。

答えより、戸惑いを大切にする

私たちは、子どもから質問されると、すぐにきれいな答えを返したくなります。「命を大切にしよう」「残さず食べよう」。どれも間違いではありません。

でも、答えを急ぐことで、その子が感じた戸惑いを消してしまうこともあります。仏法には、すぐに片づけられない問いがあります。生きること、死ぬこと、別れること。分かったことにしてしまわず、問いの前に立つ時間も大切です。

私も同じ場所に立っている

住職だから答えを持っているわけではありません。私もまた、食べなければ生きられず、誰かを傷つけ、忘れ、都合よく考えます。

だからお寺は、答えを配る場所というより、一緒に問いに立ち返る場所でありたいと思っています。

「ごめんね」と言える心を、正解に変えてしまわず、そのまま聞かせてもらう。そこから始まる法話もあるのだと思います。

この記事のテーマ
いのち子ども食卓

淨泉寺 住職 釋延洋