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真宗大谷派(東本願寺) 電話 0283-24-1355
青龍山 大德院淨泉寺

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住職の話 読む目安 約1分

子どもの声は、迦陵頻伽の声

子どもの頃には意味の分からなかった「子どもの声は迦陵頻伽の声」という言葉が、自分が親になってから戻ってきました。

子どもの頃、「子どもの声は迦陵頻伽の声だ」と聞いたことがあります。迦陵頻伽は、美しい声で鳴くと説かれる鳥です。当時の私は、意味がよく分かりませんでした。

むしろ、お寺では静かにするものだと思っていました。子どもが騒げば、大人が困る。それが普通だと思っていたのです。

親になって戻ってきた言葉

自分が親になり、子どもの泣き声や笑い声の中で暮らすようになって、昔の言葉がふと戻ってきました。美しい声とは、音量が小さい声のことではないのかもしれません。

子どもの声には、飾りがありません。うれしければ笑い、悲しければ泣く。大人の都合では止められないその声に、私は何度も自分の都合を見せられました。

子どもも、お参りする一人

法要の場で子どもが声を出すことがあります。もちろん安全や周りへの配慮は必要です。でも、「静かにできる人だけがお参りできる」ということではありません。

子どもも、お参りする一人です。そして子どもがそこにいることで、大人の側が教えられることもあります。

昔は分からなかった言葉を、何十年も後になって聞き直すことがあります。仏法の言葉は、こちらの人生が変わるたびに、違う響きで戻ってくるのだと思います。

この記事のテーマ
子ども本堂迦陵頻伽

淨泉寺 住職 釋延洋