子どもの声は、迦陵頻伽の声
子どもの頃には意味の分からなかった「子どもの声は迦陵頻伽の声」という言葉が、自分が親になってから戻ってきました。

子どもの頃、「子どもの声は迦陵頻伽の声だ」と聞いたことがあります。迦陵頻伽は、美しい声で鳴くと説かれる鳥です。当時の私は、意味がよく分かりませんでした。
むしろ、お寺では静かにするものだと思っていました。子どもが騒げば、大人が困る。それが普通だと思っていたのです。
親になって戻ってきた言葉
自分が親になり、子どもの泣き声や笑い声の中で暮らすようになって、昔の言葉がふと戻ってきました。美しい声とは、音量が小さい声のことではないのかもしれません。
子どもの声には、飾りがありません。うれしければ笑い、悲しければ泣く。大人の都合では止められないその声に、私は何度も自分の都合を見せられました。
子どもも、お参りする一人
法要の場で子どもが声を出すことがあります。もちろん安全や周りへの配慮は必要です。でも、「静かにできる人だけがお参りできる」ということではありません。
子どもも、お参りする一人です。そして子どもがそこにいることで、大人の側が教えられることもあります。
昔は分からなかった言葉を、何十年も後になって聞き直すことがあります。仏法の言葉は、こちらの人生が変わるたびに、違う響きで戻ってくるのだと思います。
淨泉寺 住職 釋延洋
