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真宗大谷派(東本願寺) 電話 0283-24-1355
青龍山 大德院淨泉寺

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法話 読む目安 約1分

正しい言葉が、人を追い詰めるとき

「正しいこと」を言っているのに相手が苦しくなることがあります。教えや正論を、人を裁く道具にしないために。

淨泉寺の本堂と境内

正しいことを言えば、問題が解決する。そう思ってしまうことがあります。

しかし、人は正論だけでは生きられません。分かっているけれどできないこと、頭では理解していても心がついてこないことがあります。

教えを相手に向ける前に

仏法の言葉も同じです。ありがたい言葉を知ると、つい人に教えたくなります。「執着を捨てなさい」「感謝しなさい」「ご縁を大切に」。

けれど、その言葉がまず向かうべき相手は、目の前の誰かではなく私自身です。人を裁く道具にした瞬間、教えは凶器にもなります。

聞くとは、自分が問われること

仏法を聞くというのは、「正解を手に入れる」ことではありません。むしろ、正解を握りしめている私の姿が見えてくることです。

正しい言葉を知っていることより、その言葉によって私がどう問われたか。そのことを忘れたくありません。

誰かに言いたくなった言葉ほど、いったん自分へ戻してみる。そこに、聞法の大切な姿勢があるように思います。

この記事のテーマ
人間関係正しさ言葉

淨泉寺 住職 釋延洋