教えを、凶器にしていないか
ありがたい教えも、人を裁くために使えば凶器になります。仏法の言葉をまず自分に向けることを考えます。

教えには力があります。だからこそ、その扱いには気をつけなければなりません。
「感謝が足りない」「執着している」「仏法を聞けば分かる」。そんな言葉を相手に向ければ、正しいことを言っているつもりでも、人を傷つけることがあります。
人を切る言葉になっていないか
刃物は、使い方によって役にも立ち、人も傷つけます。教えの言葉も同じです。
知っていることを武器にして、知らない人を見下す。正しい側に立ち、間違っている人を切り分ける。そこには、仏法を聞く私自身の姿が見えなくなっています。
まず、私に聞かせる
「執着」という言葉を知ったなら、誰かの執着を指摘する前に、私が何を握りしめているかを見る。
「感謝」という言葉を知ったなら、感謝できない人を責める前に、感謝を要求する私の心を見る。教えは、まず私に聞かせていただくものだと思います。
人を正すための仏法ではなく、私が問われる仏法へ。言葉を手にしたときほど、その向きを確かめたいと思います。
淨泉寺 住職 釋延洋


