正しさを人に向ける前に
人を論破するほど正しさを握るのではなく、煩悩を抱えた自分自身へ教えを向ける姿勢を考えます。

意見が違う相手を前にすると、「どちらが正しいか」を決めたくなります。正しさが分かれば、相手を納得させられると思うからです。
けれど、正しさを競い始めると、いつの間にか相手を負かすことが目的になってしまうことがあります。
同じ方向を向いて聞く
お寺で法話を聞くとき、話す人と聞く人が勝負をするわけではありません。ともに阿弥陀如来の教えに向かいます。
人と人が正面からぶつかるのではなく、同じ教えに照らされる。そのとき、「相手が間違っている」という問いから、「私はどう聞いているのか」という問いへ向きが変わります。
煩悩を抱えた者どうし
親鸞聖人の言葉には、人間を簡単に善人・悪人へ分けて終わらせない厳しさがあります。私もまた煩悩を抱えた一人である。その自覚があるとき、正しさの使い方も変わってきます。
相手を正す前に、教えの前に自分も座る。正しさを握る手を少し緩めるところから、話し合える余地が生まれるのかもしれません。
淨泉寺 住職 釋延洋
