世界は変わらなくても、見る目は変わる
同じ出来事でも、私たちは自分の物差しで見ています。仏法は世界を思い通りに変えるより、見ている私を問い直します。

知人から「服はユニクロしか着ない」と聞いたことがあります。私は勝手に「お金があっても慎ましく暮らす人なんだ」と親近感を覚えました。
ところが、さらに聞くと、本人は「一度着たら洗わずに手放す」という趣旨のことを話しました。どこまで本当の話かは分かりません。それでも、私が最初の一言だけで、その人を勝手に理解したつもりになっていたことには気づかされました。
自分の物差しで見ている
私たちは事実をそのまま見ているつもりでも、実際には自分の経験や価値観を通して見ています。「普通はこう」「きっとこういう人だ」。
その物差しがあること自体をなくすことは難しいでしょう。問題は、物差しを持っていることに気づかず、それを世界そのものだと思ってしまうことです。
仏法は私を照らす
仏法を聞いたからといって、嫌な出来事がなくなるわけではありません。世界が急に優しくなるわけでもありません。
けれど、世界を見ている私の側が問い直されることがあります。見え方が変われば、同じ世界の中で立ち止まれる場所が生まれます。
世界を変える前に、世界を見ている私がどうなっているのか。仏法は、その問いを何度でもこちらへ返してくるのだと思います。
淨泉寺 住職 釋延洋

