忘れるからこそ、また聞く
法話を忘れてしまう自分を責めなくてよい。忘れるからこそ、同じ教えに何度も遇う意味があります。

大切な話を聞いたはずなのに、数日すると忘れている。そんな自分にがっかりすることがあります。
でも、よく考えれば、忘れることは人間の自然な姿です。朝決めたことを夕方には忘れ、昨日反省したことを今日また繰り返します。
一度で変わろうとしない
仏法を聞けば、すぐに立派な人になれる。もしそうなら分かりやすいのですが、現実はそうではありません。
だからこそ、お寺には同じお勤めがあり、同じ言葉を繰り返し聞く時間があります。一度で完成するためではなく、何度でも自分に戻るためです。
思い出させてもらう
自分で覚えておくことには限界があります。人との出会い、法要、季節、亡き人のこと。それらがきっかけとなって、忘れていた言葉を思い出させてくれます。
「覚えている私」が頼りなのではなく、「思い出させてもらうご縁」に支えられているのだと思います。
忘れたら、また聞けばいい。その繰り返しを許してくれるところに、仏法のあたたかさを感じます。
淨泉寺 住職 釋延洋

