本文へ移動
真宗大谷派(東本願寺) 電話 0283-24-1355
青龍山 大德院淨泉寺

ホーム 読む・聞く

法話 読む目安 約1分

ザルを水に浸す――何度忘れても、また聞く

仏法を聞いてもすぐ忘れる。それでも、ザルを水に浸すように、教えの中へ何度も身を置くことに意味があります。

「せっかく法話を聞いても、家に帰るころには忘れてしまう」。そんな話を聞くことがあります。私自身もそうです。

聞いた直後は「なるほど」と思っても、日常に戻れば腹を立て、欲を出し、同じ失敗をします。では、聞く意味はないのでしょうか。

水をすくえなくても

以前、「ザルで水をすくっても残らない。でも、ザルを水に浸せば、その間は水の中にある」と教えていただいたことがあります。

仏法も、全部覚えて持ち帰ることだけが大切なのではないのでしょう。教えの中へ身を置き、その言葉に照らされる時間そのものに意味があります。

忘れる私のための聞法

忘れない立派な人になるために聞くのではありません。忘れる私だからこそ、何度でも聞く。

同じ言葉に繰り返し遇ううち、ある日ふと、自分の言葉や行動が止まることがあります。「あのとき聞いたのは、このことだったのか」と。

ザルのような私でも、また水の中へ入ることはできます。聞法とは、何度でも戻ってこられる道なのだと思います。

この記事のテーマ
ザル忘れる聞法

淨泉寺 住職 釋延洋