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真宗大谷派(東本願寺) 電話 0283-24-1355
青龍山 大德院淨泉寺

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日々の暮らしから考える 読む目安 約3分

話を聞く前に、答えを決めていないか

人の話を聞く前に、自分の中で答えを決めていないかを考える。

お茶を囲むひととき(暮らしと対話のイメージ写真)
イメージ写真

誰かが相談に来たとき、話を聞きながら、頭の中ではすでに答えを考えていることがあります。

「ああ、それならこうすればいい」「原因はきっとこれだ」「この人は、こういうことを言いたいんだろう」

相手がまだ全部話していないのに、こちらでは、話の結末までつくっている。私にもあります。

聞いているつもりで、待っているだけ

人の話を聞いているとき、本当に聞いているのでしょうか。

相手が話し終わるのを待ちながら、自分が次に何を言うかを考えているだけのことがあります。「それは違います」と言う準備をしている。自分の経験を話す準備をしている。よい助言をする準備をしている。

相手の言葉を聞いているようで、実は、自分が話す番を待っている。そういうことがあります。

答えを出したくなる

人から相談されると、役に立ちたいと思います。特に、住職。先生。親。上司。そういう立場になると、「何か答えなければ」と思います。

でも、答えを持っていることと、相手の話を聞けていることは、同じではありません。

むしろ、「自分は答えを知っている」と思っているほど、聞けなくなることがあります。相手の話を、自分の知っている型に当てはめてしまうからです。

葬儀のときにも

大切な方が亡くなられたご家族のお話を伺うと、さまざまな言葉が出てきます。

「もっと早く病院へ連れて行けばよかった」「もっと優しくすればよかった」「本当によくしてもらった」

そのとき、私は、「そんなに自分を責めなくてよいですよ」とすぐ言いたくなることがあります。もちろん、そういう言葉が必要な場合もあるでしょう。

でも、その方が、まだ話したいことがあるかもしれません。「大丈夫ですよ」という私の言葉によって、話を終わらせてしまうこともあります。

だから、まず聞く。言葉を急がない。そこを大切にしたいと思っています。

子どもの話も

子どもが何か言いに来たとき、大人は、少し聞いただけで分かった気になります。

「また友だちとけんかしたんでしょう」「あなたにも悪いところがあったんじゃないの」「こうすればいいのよ」

でも、最後まで聞いてみたら、最初に想像していた話と、全然違うことがあります。

子どもには、大人のように話を整理することができないこともあります。途中で別の話になる。言葉が出てこない。

だからこそ、こちらが急いで答えをつくらない。少し待つことが必要になります。

私は、何を聞いているのか

仏法を聞くときにも、同じことがあるように思います。

「この話は知っている」「これはこういう意味だ」最初から答えを持って聞く。すると、知っていることしか聞こえてきません。

昔何度も聞いた言葉が、ある日、突然違って聞こえることがあります。言葉が変わったのではありません。聞く私の方が変わった。

だから、聞くということは、自分の中に答えを持ったまま、相手の言葉を分類することではないのでしょう。

もしかすると、自分の考えていることとは違うかもしれない。 その余地を残しておくこと。そこから、本当に聞くことが始まるのかもしれません。

答えより先に

大学時代、先生から、「君はなぜ死ぬのか」と問われたことがあります。先生は、すぐ答えを教えませんでした。

今思えば、あの先生は、私に答えではなく、問いを渡してくださった。その問いを持った時間があったから、後になって聞こえてきたものがありました。

誰かの話を聞くときも、同じなのかもしれません。すぐ答えを渡すことより、一緒に問いを持つ。何か言う前に、もう少し聞く。

私自身、何度も忘れます。だから、何度も自分に聞きたいと思っています。

私は、話を聞く前に、もう答えを決めてはいないだろうか。

この記事のテーマ
子ども相談聞く

淨泉寺 住職 釋延洋