「世のなか安穏なれ」――自分の安心だけで終わらない
親鸞聖人の御消息にある「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」。自分一人の救いと社会の安穏を切り離さない言葉です。

親鸞聖人の御消息に、「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と念じるべきだという言葉があります。
仏法というと、自分の心を落ち着かせるもの、自分が救われるためのもの、と考えがちです。けれど、この言葉はそこで終わりません。
私の往生と、世の中
自分のことだけを考えていればよいわけではない。だからといって、社会問題の答えをすべて宗教が出すということでもありません。
自分のいのちが多くの人や社会の中で生かされていると気づくなら、その社会の安穏を願うことは自然に続いてきます。
安穏とは、波風がないことだけではない
安穏は、都合の悪いことが何も起こらない世界ではありません。意見の違いも、老いも、病も、別れもあります。
その中で、人を人として大切にし、苦しみを見過ごさず、仏法に聞きながら歩む。その願いを、私はこの言葉から受け取りたいと思います。
「私さえよければ」ではなく、「世のなか安穏なれ」。短い言葉ですが、お寺が地域にある意味を考えさせられる言葉です。
淨泉寺 住職 釋延洋
