「老少善悪をえらばれず」――人の値打ちを誰が決めるのか
『歎異抄』の「老少善悪のひとをえらばれず」から、能力や年齢、役立ちで人のいのちを量る私たちを考えます。

『歎異抄』第一条には、「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」とあります。
年齢が若いか高いか、立派かそうでないか。阿弥陀如来の本願は、私たちがつくる序列で人を選ばないと説かれます。
社会には評価がある
現実の社会では、能力や経験を評価する場面があります。仕事なら責任や成果も問われます。それ自体をなくすことはできません。
しかし、その評価をその人の存在の値打ちにまで広げてしまうと、「役に立つ人は価値がある」「できなくなった人は価値が下がる」という見方が入り込みます。
私が人を選んでいる
本願が人を選ばないという言葉を聞くとき、同時に問われるのは、私はどれほど人を選んでいるかということです。
好き嫌い、損得、役に立つかどうか。私の眼はいつも選別しています。その私が、選ばない本願に照らされるのです。
人を値踏みする眼を持った私が、「えらばれず」という言葉を聞く。そのところに、この教えの厳しさとあたたかさがあると思います。
淨泉寺 住職 釋延洋
